2015年8月29日土曜日

インターン初日

早速次の日からインターン先である会社に出社して、インターン開始しました。

インターン先の行っている仕事内容はというと、南アフリカ政府と労働組合と経営者団体で
今後の政策について協議を行う委員会に出席する経営者団体のサポートです。(おそらく)

早速午前移民のVISAに関する会議に出席させていただきましたが、
言葉が早いのなんの!!そして議論している内容の背景を少ししか知らないのでまた難しい。。
そしてさらには労働者団体から出てくる意見は、てんでバラバラなのでさらに理解が困難に・・・。

これはかなり語学力をUPさせないと聞き取れないので仕事にならない・・・と
非常に焦らされた一日でした。。
なんとか頑張って、一つでもいいから自分の足跡となる仕事を残したいと思います!

到着しました!


香港行き@関空
まだ日本人はたくさんいた
 

香港まで4時間、そこから13時間で無事にヨハネスブルグに到着しました!
香港を出発する時すぐに寝てしまって、結構寝たからもう半分くらい過ぎたかなーと思ったら、
あと9時間と表示に出ていたので少しげんなりしました。。
ただ、暇つぶしグッズとしてキンドルを持ってたのでかなり救われました。

無事に通関で止められることもなく、迎えに来てくださった会社の方と外にでると、
おれのタクシーに乗らないかい?との勧誘がたくさん。
以前新婚旅行でザンビアに行った時も空港を出たときと全く同じだったことを思い出しました。

ヨハネスブルグ行きのほとんどは中国人

(あの時は、ホテルの迎えが来なくて仕方がないので地元のタクシーに乗りましたが。。)

早速そのまま会社の方に挨拶に伺いました。
中心部からおよそ1時間くらいのところにあるオフィスパークの中にありました。
(もちろんゲートあり。)
社長さんからは、海外で仕事を行うにあたり最も心がけないといけないのは、
「自律」と言われました。
流れに身を任せるのではなくて、自分で考えそして実行すること。
そして、海外では多くのことを全て自分で行わないといけないので自律が大事になるとのことでした。

ここが家というかホテル

今回のこの研修についても自律がひとつのテーマになっているので、
すこしでも自律できる人間になれるよう頑張ります。


その後、早速会社が用意してくれた車を運転(!)して、途中いくつかのモールを紹介してもらいながら、ホテル(というか家)に到着しました。
比較的まだ安全と言われる(と言っても外は歩けませんが)サントン地区の中心にあるホテルで、
身に余るほどの部屋です。しかも自宅のマンションよりも広いという・・・。
ホテルに入るには車で指紋認証でゲートをあけて、玄関には鉄格子。
いよいよ来たんだなーと少しずつですが実感が湧いてきました。

あまりに初日に色々なことがあり過ぎて、なかなかすぐに全てを覚えられませんが
とにかく安全だけには気をつけようと思いました。
命あってこその人生ですからね。そして、安全に気を払いながらも精一杯楽しもうと思います。
眺めは抜群!(一番上の部屋ですから。。)







2015年8月23日日曜日

アフリカに関するビデオ

先日、赴任前に何かアフリカのビデオをみたいなと思っていて、
会社の方に聞いたらぜひお勧めの映画があるよということで、早速アマゾンで中古を注文!

で、見た映画はこちら

ひとつは、元々見たいなと思っていたもので、「ホテルルワンダ」
で、もうひとつはお勧め映画の「インビクタス」です。

とても簡単な内容紹介ですが、
「ホテルルワンダ」
1994年にルワンダで起きた、フツ族とツチ族の民族闘争の話で、
たったの100日間で100万人が虐殺された時のお話です。
元々同じ民族だったようですが、ベルギーが統治するときに怒りの矛先が自分らに向かないように間接的にツチ族にフツ族を支配するようにしたようです。
フツ族の大統領が暗殺されたきっかけで、フツ族によるツチ族の大量虐殺が始まりました。
その映像を白人TVクルーが撮影し本国へ届けたにも関わらず、
先進国はルワンダにいる自国民だけを国外に避難させ、
そしてPKOもほぼ何も出来ないまま(むしろ人数は減らされた)、
どんどん虐殺が進んでしまったとのことです。なお、この虐殺が行われる前から用意周到にその準備をしていたそうです。
映画の内容としては、そうした中ホテルに逃げ込んできた人々を種族にかかわらず受け入れて虐殺から救いだしたホテルの支配人の話になっています。
 公共放送であるラジオが虐殺を扇動したり、反感を持つように人々に情報をすりこんだりしたことがこの一因となったようです。
 自分が感じたのは、自分自身にもそうした人種差別の火種のようなものが全くないわけではないし、長い間そうした扇動や刷り込みの中に身を置いていたら自分だってこうした行為をする人たちにだってなりうるのではないかと思い非常に怖くなりました。こうした危険性が自分にもあるんだということを認識できたいい機会だったし、またこれから行く国は日本以上に多くの民族が住む国だから人種差別についてはこれまで以上に意識して気をつけなければいけないことだなと感じた映画でした。

一方、「インビクタス」です。
こちらは打って変わって明るい内容でした。
時代は1995年のラグビーのW杯が南アフリカで行われた時にお話です。
当時、ラグビーは白人だけがやるスポーツで、アパルトヘイトの象徴だったため、
黒人からは嫌われるスポーツだったそうです。
(黒人は南アフリカの試合の時は、対戦相手を応援していたらしい)
新しく就任したマンデラ大統領は、白人と黒人の心の壁を取り払いスポーツを通じて
国を一つにしようと考えたようでした。
当時チームが弱かったため、
これ幸いにと黒人からなるスポーツ連盟がチーム名やエンブレム、ユニフォームまで
全て変えようとしたことを大統領自ら会議に赴き阻止したり、
チームのメンバーに黒人地区の子どもたちへラグビーを教える活動を指示したりと
これまでの過去を断ち切り、新しい未来を切り開くために様々な施策をされたようです。
中でも印象的だったのは、
「リーダーである自分がまず変わらないと、他のみんなを変えられない」という発言でした。
27年もの間に牢獄に閉じ込められていたにも関わらず、国の未来のためにマンデラ大統領自らが
率先して復讐ではなく和解の道を国民に示したのだということが非常に伝わりました。
 自分も自らの個人的な思いや意見ではなく、他人やその組織の今後や未来を思い行動を取れるようになり多くの人から慕われる存在になりたいと思いました。
また純粋に南アフリカに行ったらラグビーのファンになろうというのと、行くからには現地ローカル言語で国歌を歌えるようになろうと思いました。

と、長くなりましたが眠くなってきたので今日はここまでー。

2015年8月19日水曜日

ついに渡航日決定~

お盆が明けたら一気にいろいろな事が進み始めました!

まずは、引っ越し用荷物の運搬。

引っ越しの様子
 持っていくもののほんの一例ですが、
スポーツ用品(盛んとの噂のゴルフと出来ればやりたいバドミントン)
プラスチックの衣装ケース(ずっとスーツケースに入れておくわけにもいかないし。。)
定番の炊飯器&変圧器
百均でかった大量の小物類(ハンガーとかジップロックとかシーラーとか台拭きとかとか)
もちろん日本の食材(コメや大好物の永谷園の麻婆春雨やラーメンや松茸のお吸い物とか)
コート(朝晩は冷えるとの情報も?)
シャンプー・リンス・髭剃り等の洗面用品(やっぱりいつものを使いたい)
とかでしょうか。
結局、持っていける量のおよそ半分くらいしかなかったようです。
まぁそんなにないですよねー。




次に、就労VISAの取得と航空券!
VISAのページ

ようやく取れました!
一時は健康面の不安もあり大丈夫か?とも思われましたが無事取得!
VISAがとれたということでさっそく航空券の発券をしてもらい、
25日関空発の香港経由ヨハネスブルグ行きになりました!
香港まで4時間+2時間待ち+香港から13時間という待ち時間が比較的少ない旅になりそうです。
暇つぶしグッズ持っていかないと!

渡航までまだまだだなぁなんて漠然と思っていたのが、
いざこうして日にちが決まるとソワソワしてきますね。
嫁と二人でいよいよかーと話しているとこです。

残り少ない時間で、アフリカのテーマの映画を見たり、
英語勉強したり、子どもと遊んだりしてより有意義に過ごそうと
思います。

2015年8月5日水曜日

母から母へ

今回は、前回とがらりと変わりビジネス向けの本ではなく、
南アフリカ文学と呼ばれる「母から母へ」という本を読みました。


1993年南アフリカのタウンシップ(旧黒人居住地区)でアメリカからの女子留学生(エイミービール)が、
黒人青年の群れに襲われ殺されたというエイミービール事件を元にした本です。
アパルトヘイト政策の終わりをつげた全人種参加の総選挙の実施をサポートするために
南アフリカに留学し、まさに留学生活を終わろうとしていた矢先に、自分が思いを寄せた黒人たちに殺されました。

この本はその犯人のお母さんが、被害者のお母さんに向けた手紙という形で書かれています。
なぜこの黒人青年が殺そうという思いに至ったのか。
黒人青年のお母さんが小さい時から、
そしてその問題となった黒人青年を産み育てていく中での境遇を通して
如何にしてその感情が生まれていったのかが書かれています。
馴染み深かった家々を突然白人たちに別の土地へ集団で移るよう言われたり、
あまりにも大きい経済格差の中で虐げられたりとそういった負の感情のようなものが
社会全体として少しづつ溜まっていったのではないかと思います。

また、当時は白人を殺した黒人が逮捕されたら死を持って償うという鉄則があった時代だったそうです。ただ、アパルトヘイトが終わりこれまでの負の連鎖を断ち切るために真実和解委員会が
設置されました。
そこで犯罪を犯したものがすべてを告白すれば、それと引き換えに免責を得ることができるようになりました。
この犯人はエイミーの両親の門前で罪を告白すると、その両親はこの和解のプロセスを支持することが亡くなった娘の本意だと確信すると述べ免責を承認したそうです。

「人を殺したのにもかかわらず釈放される」という事実のみ捉えると今の日本では考えられないし、
ましてや自分の息子が殺されたとして、相手を許せるかと言ったら許せないと思います。
ただ、人を殺してしまうという感情を生んでしまった社会への反省と負の連鎖を断ち切るための一助としてはとても寛大な考えなのだと感じます。さらにそこまでの感情を生み出すほどまでにアパルトヘイトは凄まじかったのではと想像します。

こうしたバックグランドがあるんだなと知った上で、現地に行けばまた違ったものの見方ができるのではと思いました。